ドォンッ!
体を突き上げるような激しい衝動で、俺は目覚めた。
まわりは真っ暗。何がなんだか分からない。 手探りでドアらしきものを探り当て、必死の思いでこじ開ける。外は嵐だった。
激しく揺れる地面は木の床で、雨粒と波をかぶって水に沈みかけている。 大波が襲うごとに船は軋んで、今にも壊れてしまいそうだ。船だ。俺は船に乗っていたんだ。
どうして? 思い出せない。 まるで見知らぬ場所の影絵を見るように、目の前の光景が展開されている。ドンッ!
また衝撃が走る。
すでに沈みかけている船が、波をまともに受けて揺らいでいるのだ。 ギィィと木が軋む嫌な音がして、床の傾きの角度がぐんと上がる。 高波をかぶって俺は転んだ。為すすべはなかった。船の手すりを掴もうとしたが、全てが遠い。
俺は海に放り出された。 次々と襲ってくる波と雨のせいで、水中に落ちたと気づくのに時間がかかった。激しい波に濁る海中で、船が真っ二つになっているのが見えた。
真っ二つになって、渦を起こして沈んでいくのが。それが、俺の意識の最後になった。
パチ、パチと小さな音がする。 全身ひどく寒かったけれど、その音のする方向だけ少し暖かい。 そっと目を開けてみると、オレンジ色の炎が見えた。 焚き火だ。焚き火のそばに二人の人影がいる。
俺の目はまだかすんでいて、どんな人物なのかまではよく見えない。「うう……」
声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。
「おや。目が覚めたか」
若い男の声が答える。
「君は三日も眠っていた。ニアに感謝するんだな。わざわざ君を海から引き上げて、こうして世話までしたのだから」
少し視力が戻ってくる。
よく見れば、二つの人影は若い男と少女のようだ。「あなた、難破船から落ちて溺れたのよ。覚えてる?」
ニアという少女が言う。十三歳か十四歳くらいに見えた。
「覚えて……る」
かすれた声だったが、ちゃんと喋れた。
男が立ち上がって、俺にマグカップを差し出してくれた。 中身は温めたミルクで、ゆっくりと飲めば腹が温まってくる。「ありがとう、ええと」
「ルードだ」
男、ルードは素っ気なく言ってまた焚き火の前に腰を下ろした。
「運が良かったな。船はバラバラになって、浜に打ち上げられたのは瓦礫と死体ばかりだった。生きているのが不思議だよ」
「……はは」
俺は何と答えていいか分からず、ぎこちなく笑った。
視線を周囲に向けてみると、どうやらここは洞窟のようだ。むき出しの岩壁が焚き火に照らされて、薄いオレンジ色に染まっていた。 ルードが続けた。「まあ、ニアの温情と同族のよしみということにしておいてやろう。お前も冒険者か?」
「同族?」
「その耳、森の民だろう。故郷を失った流浪の民。そんなことも分からないとは、まだ寝ぼけているのか?」
俺はマグカップを置いて、自分の耳を触ってみた。
……尖っている。なんだこれ。耳なんぞたまにしか触らないが、いつの間にこんなに先が尖った形になったんだ。
これじゃあまるで、ファンタジー映画に出てくるエルフのようだ。 よく見たら、ニアとルードも同じ形の耳をしていた。 そして二人とも不思議な色の髪と目をしている。青とか緑とか、人間にありえないような色。俺が呆然としていると、ルードはいかにも面倒そうに息を吐いた。
ため息をついたルードが投げやりな口調で言った。「まあいい。意識が戻ったのだから、我々は先に行く。あてのない旅ではあるが、他人のために足止めはごめんだからな」「ルード。彼は目を覚ましたばかりよ。もう少しだけ助けてあげましょう」 ニアが言うと、ルードはあからさまに舌打ちをした。なんだこいつ、性格悪いな。「そういえば、名前を聞いていなかったわね」「ニア、よせ。名など聞けば余計な縁ができる。今の我らにそんなものを抱える余裕があるか?」「縁ならもう十分にできているわ。今さらよ。……それで、あなたの名前は?」 俺の名は――「ユウ、だ」 何も思い出せないくせに、名前だけはするりと出てきた。 それともYOUのユーだろうか。 分からんが、ユウは意外に馴染みがいい。本当に俺の名前なのかもしれない。「ユウ。もう少し眠るといいわ。私たちが火の番をするから、安心して」 ニアがにっこりと微笑んだ。 横ではルードが苦い顔をしている。 分からないことだらけで不安だったが、体は冷えて疲れ切っている。 返事をするのもままならず、俺は再び眠りに落ちた。 再び目覚めると、体はずいぶんマシになっていた。 焚き火のそばには、相変わらずニアとルード。二人は小声で何事か話している。 俺が目を開けたのに気づいて、ルードが言った。「顔色は良くなったな。起き上がれるか?」「ああ、大丈夫だ」 体のあちこちが痛んだけれど、俺は立ち上がった。 ぐっと手足を伸ばす。洞窟の天井は案外高くて、俺が手を伸ばしてもぶつかったりしなかった。 深呼吸をすると、腹がぐうと鳴った。 いいことだ。空腹を感じるのは、正常なことだからな。「ほら、飯だ。食え」 ルードが投げて寄越したのは……生肉である。 生肉は地面を転がり、土で汚れている。 いや生肉って。病み上がりの怪我人に与えるか普通? 生肉を手に取って俺は困った。困ったが、腹はぐうぐう鳴っている。 仕方なく肉を焚き火であぶってみる。 串もなくあぶったものだから手が熱い。「うおっアチッ」 肉の端に火がついて、ついでに俺の手もやけどしそうになった。こりゃだめだ。 仕方ない、生のままだがかじってみよう。 俺は口を開けて肉にかぶりつく。「ォエェェッ」 で、普通に吐いた。 胃の中が空っぽだったので胃液を吐いてしまった。 当
足元に転がってきたのは、古びた剣と盾だった。 どちらもあちこち錆びついており、いかにもガラクタといった様子。 手に持ってみると無駄にずっしりと重い。質の良くない金属で作ったものなのだろう。 ルードが言う。「お前がこれから一人で生きていくには、まあ、冒険者になるのが妥当だろうな。なにせ森の民だ。下手に出自を知られれば、定住はおろか迫害を受けかねん。であれば、自分の身くらいは自分で守ってみせろ。……ニア」「うん」 ニアが立ち上がって、小さく何事か呟いた。 ぐるり、空気が奇妙な渦を巻く。その渦の中心に小さい何かが生まれた。「ピキー」 それは丸くっこくて水分が多そうな、よく分からない生き物だった。 白っぽいしずく型でぷにぷにしている。 俺は何となく某国民的RPGの一番弱い敵を思い出した。「ピキー」「ピキッ」 そいつらは全部で三匹いる。ぴょんぴょんと跳ねている動きは、ちょっと可愛いかもしれない。 ルードが腕を組む。「最弱魔物の『グミ』だ。初心者の相手としてはちょうどいいだろう。そいつらを殺せば、ルード先生の親切は終了だ。さあ、やってみせろ!」「ピキーッ!」 そいつらはぴょんぴょん跳ねながら、襲いかかってきた!「うわ!」 俺は慌てて剣と盾を持つ。 すると―― デロデロデロ…… 何とも不吉な気配がした。手元の剣と盾は不気味な赤黒い色に包まれている。 ただでさえ無駄に重量があったのに、さらに重くなりやがった。ここまで来ると素手のほうがいいと思うくらいだ。「あぁ、すまん。その武具は呪われていたか。まあ後で解呪法も教えてやろう。とりあえず頑張れ」 ルードが無責任なことを言っている。 絶対わざとだ、あれ!「ピキ!」 どすっ! グミの一匹が体当たりをしてきた。「ぐふっ」 小さい割に強烈な体当たり。いや、俺が弱いのかもしれん。「ピキピキ!」「ピーッ!」 立て続けに三匹からぶつかられて、俺は思わず膝をつきそうになる。 だがここで体勢を崩せば、よってたかって襲われて死ぬ。ルードは助けて……くれなさそうだ! 俺は必死に周囲を見た。 洞窟はそんなに広くはなく、奥に行くに従って幅が狭まっている。 奥の壁を背にすれば、三匹同時に攻撃されることはないだろう。「くそっ!」 重すぎる両手の剣と盾を引きずるようにして、俺は洞窟
床にへたり込んだ俺の目の前に、小瓶に入った液体が差し出された。 少し目を上げるとニアがいる。「お疲れ様。最初としては頑張ったと思うわ。このポーションを飲めば体力が回復するから、どうぞ」 彼女はルードよりはよほど信頼できる。 瓶を受け取って赤い液体を一気にあおった。 味は正直、薬臭くてうまいとは言えない。 それでも渇ききった喉を滑り落ちる感触が心地よい。 すっかり飲み干すと、確かに体が楽になった。 俺は立ち上がって空き瓶をニアに返した。「それから、これも」 ニアは今度は古びた巻物を渡してきた。「これは?」「解呪のスクロール。いつまでも呪われた装備だと、困るでしょう。後で読んでみて」「ありがとう!」 まあその呪われた装備をそうと言わずに寄越したのは、そこにいるルードなんだが。 ちなみにヤツは全く反省のない顔で、肩をすくめている。「親切にしてやるのも、もう十分だな。ニア、そろそろ行くぞ」「うん」 ニアとルードは連れ立って洞窟を出ていく。 洞窟の出口でニアが振り返った。「ここから西の海岸を南に行けば、町があるから。一度行ってみるといいわ。それから焚き火の横の袋は、あなたへのささやかなプレゼント」「俺からも最後の忠告だ。森の民の尖った耳は、差別と迫害の対象になる。町に行くなら隠しておけ」「お互い生き延びていれば、またいつか会えるわ。さようなら」 二人は口々にそんなことを言って、今度こそ本当に洞窟から出て行った。 大して広くもない洞窟の中で、俺は一人になった。「さて、ニアの言う『プレゼント』は、っと……」 俺はまず、袋の中身を確認してみることにした。 背負うのにちょうど良さそうな大きさの袋の中には、カチカチに固いパンと干した果物、さっきもらった赤いポーションがいくつか、それから色違いのポーションと巻物が何枚か入っていた。 ルードの呪われた装備よりよっぽどまともである。ありがとう、ニア。「まずは装備の解呪をしないと」 赤黒く光る剣と盾は手から離れてくれず、しかもやたらと重くて不便で仕方ない。 俺はもらった解呪のスクロールを開いて読んでみた。 口に出して巻物の文字を読み上げると、装備が白い光に包まれた。 おっ、これが解呪か? そう思ったのもつかの間、剣と盾の赤黒い光が抵抗するように強まって、白い光を吹き飛ばして
魔力やスキルでわけが分からなくなってしまったが、俺はもう一つ心配があった。 それは、俺が一体どうして船に乗っていたのか思い出せないことだ。 ステータスでは俺は十五歳の森の民であるらしい。 しかしそう言われても実感がない。 正直俺は、自分がもっと大人のつもりでいた。二十代とか、何なら三十歳くらいのだ。 それに時折自然に脳みそを流れていく、変な言葉や記憶たち。 某国民的RPGやら、底辺高校のヤンキーやら、バトル漫画やら。 俺にとってはこれらの方がよほど馴染みがあって、今の自分は突然どこか別の場所に放り込まれたようにすら感じる。「異世界転生……?」 スキルやらステータスやらがある以上、ここは俺が本来いた場所ではない。そう確信がある。 ならばここは別の世界で、俺自身も前の俺ではない。 それこそゲームやアニメで聞いたことのある、別の世界に生まれ変わる――異世界転生をしてしまったと考えるとしっくり来た。 船が沈没したショックで前世の記憶を思い出したってとこか。 思い出した引き換えに今までの十五歳分の記憶が消えてしまったのが痛いが、今さらどうにもならん。「いやあ、どうするかなぁ……」 俺は心の底からのため息をついた。 異世界転生したらしいと分かっても、事態は何も変わりはしない。 俺の両手は呪われた剣と盾が張り付いており、ステータスはほぼオール1で、頼れる人は誰もいない。 何もかもが絶望的だ。 けれども俺は死ぬのは嫌だった。 というか、こんなわけの分からん状態でわけの分からんままで死ぬとか、誰だって嫌に決まっている。 船の難破も、ルードみたいな性格クソ悪野郎に生肉食わせられたのも、理不尽な目に遭うのはもうコリゴリだ。 死んでたまるか。 生き延びてやる。 俺の願いは生きること……! これからこの世界で、きっちり生ききってやるんだ! 他でもない、俺自身の力で!! そう決めたら、腹の底から力が湧いてきた。 そうだ、このままじゃいられない。やられっぱなしでいられるか!「町に行ってみよう」 このまま洞窟でこうしていても、ただ時が流れるだけだ。 町に行けばスキルが習えるかもしれない。そうしたら呪いも解ける。 生きていくのに必要だった。「腹が減ったな」 これから長時間の移動をするのだ。余裕のあるうちに飯を食っておこう。 俺は
袋の中身は少々の食料と、何色かのポーション。それに巻物がいくつか。 うち、赤色のポーションは体力を回復する。これは自分の体で体験済みだ。 では赤色以外のポーションと巻物はどうだ。 解呪の巻物は何の役にも立たなかったが、攻撃に使える巻物はないだろうか。 そう思って巻物を取り出してみたがけれど、これがどんな効果を発揮するのか皆目分からん。 そういえば解呪の巻物もニアが「これで解呪できる」と渡してきたからそういうものだと分かったのであって、俺が解読したのではなかった。 だが、それならとりあえず読んでみよう。やってみればよかろうなのだ。 解呪も失敗はしたが、白い光が出てきた。俺程度の魔力でもちゃんと発動はする。 俺はボロボロの巻物を手に取った。 開いて呪文を読み上げる。すると……「――えっ?」 ヒュン! と軽いめまいのような感覚がして、次の瞬間、俺は地面に立っていた。 場所はさっき登っていた木から十メートルちょい離れた場所か。 なんだこれ。瞬間移動した!? 木の上から消えた俺が地面に立っていると気づいて、グミどもがわらわら転がってきた。 ぎゃああああ! 俺は再び猛ダッシュして、手近な木に登った。「なんだこれ! なんだこれ! また死ぬところだったぞ」 何とか別の木に登って、俺はゼエゼエと荒い息を吐く。 やっぱり効果不明のものに思いつきで手を出すのは良くない……。 俺はとても反省した。 次。 反省した俺は、少しでも効果を確かめてから使うことにした。 巻物はもうどうしようもない。だって、いくら眺めても効果の予想ができないからな。 俺はポーションの瓶を取り出した。 赤以外では、緑色、ピンク色、透明(わずかに黄色)がある。 それぞれ瓶のふたを取り、匂いをかいでみる。 緑色のポーションは生臭い匂
袋の中身は少々の食料と、何色かのポーション。それに巻物がいくつか。 うち、赤色のポーションは体力を回復する。これは自分の体で体験済みだ。 では赤色以外のポーションと巻物はどうだ。 解呪の巻物は何の役にも立たなかったが、攻撃に使える巻物はないだろうか。 そう思って巻物を取り出してみたがけれど、これがどんな効果を発揮するのか皆目分からん。 そういえば解呪の巻物もニアが「これで解呪できる」と渡してきたからそういうものだと分かったのであって、俺が解読したのではなかった。 だが、それならとりあえず読んでみよう。やってみればよかろうなのだ。 解呪も失敗はしたが、白い光が出てきた。俺程度の魔力でもちゃんと発動はする。 俺はボロボロの巻物を手に取った。 開いて呪文を読み上げる。すると……「――えっ?」 ヒュン! と軽いめまいのような感覚がして、次の瞬間、俺は地面に立っていた。 場所はさっき登っていた木から十メートルちょい離れた場所か。 なんだこれ。瞬間移動した!? 木の上から消えた俺が地面に立っていると気づいて、グミどもがわらわら転がってきた。 ぎゃああああ! 俺は再び猛ダッシュして、手近な木に登った。「なんだこれ! なんだこれ! また死ぬところだったぞ」 何とか別の木に登って、俺はゼエゼエと荒い息を吐く。 やっぱり効果不明のものに思いつきで手を出すのは良くない……。 俺はとても反省した。 次。 反省した俺は、少しでも効果を確かめてから使うことにした。 巻物はもうどうしようもない。だって、いくら眺めても効果の予想ができないからな。 俺はポーションの瓶を取り出した。 赤以外では、緑色、ピンク色、透明(わずかに黄色)がある。 それぞれ瓶のふたを取り、匂いをかいでみる。 緑色のポーションは生臭い匂
魔力やスキルでわけが分からなくなってしまったが、俺はもう一つ心配があった。 それは、俺が一体どうして船に乗っていたのか思い出せないことだ。 ステータスでは俺は十五歳の森の民であるらしい。 しかしそう言われても実感がない。 正直俺は、自分がもっと大人のつもりでいた。二十代とか、何なら三十歳くらいのだ。 それに時折自然に脳みそを流れていく、変な言葉や記憶たち。 某国民的RPGやら、底辺高校のヤンキーやら、バトル漫画やら。 俺にとってはこれらの方がよほど馴染みがあって、今の自分は突然どこか別の場所に放り込まれたようにすら感じる。「異世界転生……?」 スキルやらステータスやらがある以上、ここは俺が本来いた場所ではない。そう確信がある。 ならばここは別の世界で、俺自身も前の俺ではない。 それこそゲームやアニメで聞いたことのある、別の世界に生まれ変わる――異世界転生をしてしまったと考えるとしっくり来た。 船が沈没したショックで前世の記憶を思い出したってとこか。 思い出した引き換えに今までの十五歳分の記憶が消えてしまったのが痛いが、今さらどうにもならん。「いやあ、どうするかなぁ……」 俺は心の底からのため息をついた。 異世界転生したらしいと分かっても、事態は何も変わりはしない。 俺の両手は呪われた剣と盾が張り付いており、ステータスはほぼオール1で、頼れる人は誰もいない。 何もかもが絶望的だ。 けれども俺は死ぬのは嫌だった。 というか、こんなわけの分からん状態でわけの分からんままで死ぬとか、誰だって嫌に決まっている。 船の難破も、ルードみたいな性格クソ悪野郎に生肉食わせられたのも、理不尽な目に遭うのはもうコリゴリだ。 死んでたまるか。 生き延びてやる。 俺の願いは生きること……! これからこの世界で、きっちり生ききってやるんだ! 他でもない、俺自身の力で!! そう決めたら、腹の底から力が湧いてきた。 そうだ、このままじゃいられない。やられっぱなしでいられるか!「町に行ってみよう」 このまま洞窟でこうしていても、ただ時が流れるだけだ。 町に行けばスキルが習えるかもしれない。そうしたら呪いも解ける。 生きていくのに必要だった。「腹が減ったな」 これから長時間の移動をするのだ。余裕のあるうちに飯を食っておこう。 俺は
床にへたり込んだ俺の目の前に、小瓶に入った液体が差し出された。 少し目を上げるとニアがいる。「お疲れ様。最初としては頑張ったと思うわ。このポーションを飲めば体力が回復するから、どうぞ」 彼女はルードよりはよほど信頼できる。 瓶を受け取って赤い液体を一気にあおった。 味は正直、薬臭くてうまいとは言えない。 それでも渇ききった喉を滑り落ちる感触が心地よい。 すっかり飲み干すと、確かに体が楽になった。 俺は立ち上がって空き瓶をニアに返した。「それから、これも」 ニアは今度は古びた巻物を渡してきた。「これは?」「解呪のスクロール。いつまでも呪われた装備だと、困るでしょう。後で読んでみて」「ありがとう!」 まあその呪われた装備をそうと言わずに寄越したのは、そこにいるルードなんだが。 ちなみにヤツは全く反省のない顔で、肩をすくめている。「親切にしてやるのも、もう十分だな。ニア、そろそろ行くぞ」「うん」 ニアとルードは連れ立って洞窟を出ていく。 洞窟の出口でニアが振り返った。「ここから西の海岸を南に行けば、町があるから。一度行ってみるといいわ。それから焚き火の横の袋は、あなたへのささやかなプレゼント」「俺からも最後の忠告だ。森の民の尖った耳は、差別と迫害の対象になる。町に行くなら隠しておけ」「お互い生き延びていれば、またいつか会えるわ。さようなら」 二人は口々にそんなことを言って、今度こそ本当に洞窟から出て行った。 大して広くもない洞窟の中で、俺は一人になった。「さて、ニアの言う『プレゼント』は、っと……」 俺はまず、袋の中身を確認してみることにした。 背負うのにちょうど良さそうな大きさの袋の中には、カチカチに固いパンと干した果物、さっきもらった赤いポーションがいくつか、それから色違いのポーションと巻物が何枚か入っていた。 ルードの呪われた装備よりよっぽどまともである。ありがとう、ニア。「まずは装備の解呪をしないと」 赤黒く光る剣と盾は手から離れてくれず、しかもやたらと重くて不便で仕方ない。 俺はもらった解呪のスクロールを開いて読んでみた。 口に出して巻物の文字を読み上げると、装備が白い光に包まれた。 おっ、これが解呪か? そう思ったのもつかの間、剣と盾の赤黒い光が抵抗するように強まって、白い光を吹き飛ばして
足元に転がってきたのは、古びた剣と盾だった。 どちらもあちこち錆びついており、いかにもガラクタといった様子。 手に持ってみると無駄にずっしりと重い。質の良くない金属で作ったものなのだろう。 ルードが言う。「お前がこれから一人で生きていくには、まあ、冒険者になるのが妥当だろうな。なにせ森の民だ。下手に出自を知られれば、定住はおろか迫害を受けかねん。であれば、自分の身くらいは自分で守ってみせろ。……ニア」「うん」 ニアが立ち上がって、小さく何事か呟いた。 ぐるり、空気が奇妙な渦を巻く。その渦の中心に小さい何かが生まれた。「ピキー」 それは丸くっこくて水分が多そうな、よく分からない生き物だった。 白っぽいしずく型でぷにぷにしている。 俺は何となく某国民的RPGの一番弱い敵を思い出した。「ピキー」「ピキッ」 そいつらは全部で三匹いる。ぴょんぴょんと跳ねている動きは、ちょっと可愛いかもしれない。 ルードが腕を組む。「最弱魔物の『グミ』だ。初心者の相手としてはちょうどいいだろう。そいつらを殺せば、ルード先生の親切は終了だ。さあ、やってみせろ!」「ピキーッ!」 そいつらはぴょんぴょん跳ねながら、襲いかかってきた!「うわ!」 俺は慌てて剣と盾を持つ。 すると―― デロデロデロ…… 何とも不吉な気配がした。手元の剣と盾は不気味な赤黒い色に包まれている。 ただでさえ無駄に重量があったのに、さらに重くなりやがった。ここまで来ると素手のほうがいいと思うくらいだ。「あぁ、すまん。その武具は呪われていたか。まあ後で解呪法も教えてやろう。とりあえず頑張れ」 ルードが無責任なことを言っている。 絶対わざとだ、あれ!「ピキ!」 どすっ! グミの一匹が体当たりをしてきた。「ぐふっ」 小さい割に強烈な体当たり。いや、俺が弱いのかもしれん。「ピキピキ!」「ピーッ!」 立て続けに三匹からぶつかられて、俺は思わず膝をつきそうになる。 だがここで体勢を崩せば、よってたかって襲われて死ぬ。ルードは助けて……くれなさそうだ! 俺は必死に周囲を見た。 洞窟はそんなに広くはなく、奥に行くに従って幅が狭まっている。 奥の壁を背にすれば、三匹同時に攻撃されることはないだろう。「くそっ!」 重すぎる両手の剣と盾を引きずるようにして、俺は洞窟
ため息をついたルードが投げやりな口調で言った。「まあいい。意識が戻ったのだから、我々は先に行く。あてのない旅ではあるが、他人のために足止めはごめんだからな」「ルード。彼は目を覚ましたばかりよ。もう少しだけ助けてあげましょう」 ニアが言うと、ルードはあからさまに舌打ちをした。なんだこいつ、性格悪いな。「そういえば、名前を聞いていなかったわね」「ニア、よせ。名など聞けば余計な縁ができる。今の我らにそんなものを抱える余裕があるか?」「縁ならもう十分にできているわ。今さらよ。……それで、あなたの名前は?」 俺の名は――「ユウ、だ」 何も思い出せないくせに、名前だけはするりと出てきた。 それともYOUのユーだろうか。 分からんが、ユウは意外に馴染みがいい。本当に俺の名前なのかもしれない。「ユウ。もう少し眠るといいわ。私たちが火の番をするから、安心して」 ニアがにっこりと微笑んだ。 横ではルードが苦い顔をしている。 分からないことだらけで不安だったが、体は冷えて疲れ切っている。 返事をするのもままならず、俺は再び眠りに落ちた。 再び目覚めると、体はずいぶんマシになっていた。 焚き火のそばには、相変わらずニアとルード。二人は小声で何事か話している。 俺が目を開けたのに気づいて、ルードが言った。「顔色は良くなったな。起き上がれるか?」「ああ、大丈夫だ」 体のあちこちが痛んだけれど、俺は立ち上がった。 ぐっと手足を伸ばす。洞窟の天井は案外高くて、俺が手を伸ばしてもぶつかったりしなかった。 深呼吸をすると、腹がぐうと鳴った。 いいことだ。空腹を感じるのは、正常なことだからな。「ほら、飯だ。食え」 ルードが投げて寄越したのは……生肉である。 生肉は地面を転がり、土で汚れている。 いや生肉って。病み上がりの怪我人に与えるか普通? 生肉を手に取って俺は困った。困ったが、腹はぐうぐう鳴っている。 仕方なく肉を焚き火であぶってみる。 串もなくあぶったものだから手が熱い。「うおっアチッ」 肉の端に火がついて、ついでに俺の手もやけどしそうになった。こりゃだめだ。 仕方ない、生のままだがかじってみよう。 俺は口を開けて肉にかぶりつく。「ォエェェッ」 で、普通に吐いた。 胃の中が空っぽだったので胃液を吐いてしまった。 当
ドォンッ! 体を突き上げるような激しい衝動で、俺は目覚めた。 まわりは真っ暗。何がなんだか分からない。 手探りでドアらしきものを探り当て、必死の思いでこじ開ける。 外は嵐だった。 激しく揺れる地面は木の床で、雨粒と波をかぶって水に沈みかけている。 大波が襲うごとに船は軋んで、今にも壊れてしまいそうだ。 船だ。俺は船に乗っていたんだ。 どうして? 思い出せない。 まるで見知らぬ場所の影絵を見るように、目の前の光景が展開されている。 ドンッ! また衝撃が走る。 すでに沈みかけている船が、波をまともに受けて揺らいでいるのだ。 ギィィと木が軋む嫌な音がして、床の傾きの角度がぐんと上がる。 高波をかぶって俺は転んだ。為すすべはなかった。 船の手すりを掴もうとしたが、全てが遠い。 俺は海に放り出された。 次々と襲ってくる波と雨のせいで、水中に落ちたと気づくのに時間がかかった。 激しい波に濁る海中で、船が真っ二つになっているのが見えた。 真っ二つになって、渦を起こして沈んでいくのが。 それが、俺の意識の最後になった。 パチ、パチと小さな音がする。 全身ひどく寒かったけれど、その音のする方向だけ少し暖かい。 そっと目を開けてみると、オレンジ色の炎が見えた。 焚き火だ。 焚き火のそばに二人の人影がいる。 俺の目はまだかすんでいて、どんな人物なのかまではよく見えない。「うう……」 声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。「おや。目が覚めたか」 若い男の声が答える。「君は三日も眠っていた。ニアに感謝するんだな。わざわざ君を海から引き上げて、こうして世話までしたのだから」 少し視力が戻ってくる。 よく見れば、二つの人影は若い男と少女のようだ。「あなた、難破船から落ちて溺れたのよ。覚えてる?」 ニアという少女が言う。十三歳か十四歳くらいに見えた。「覚えて……る」 かすれた声だったが、ちゃんと喋れた。 男が立ち上がって、俺にマグカップを差し出してくれた。 中身は温めたミルクで、ゆっくりと飲めば腹が温まってくる。「ありがとう、ええと」「ルードだ」 男、ルードは素っ気なく言ってまた焚き火の前に腰を下ろした。「運が良かったな。船はバラバラになって、浜に打ち上げられたのは瓦礫と死体ばかりだった。生きているのが